■写真絵本「いのちつぐ みとりびと」の写真家・ジャーナリストの國森康弘さんの講演会が秋田で開催されます。「第一回在宅看取り講演会」
【主催】:秋田大学地域包括ケア介護予防研修センター
秋田魁新報社
【日時】:2016年5月22日(日)13:00~
【場所】:さきがけホール(秋田魁新報社1F)
秋田市山王臨海町1-1
TEL018(888)1929
【参加】無料、FAXにて要申込み(定員なり次第〆切)
【お申込み】 秋田魁新報社営業部 第一回在宅看取り講演会係 FAX018-863-1681 あて
お名前、ご住所、TEL、FAX をお知らせください。
■主催:秋田大学地域包括ケア介護予防研修センター
秋田県の地域包括ケアシステム実現に向け、地域包括ケアシステムや地域医療について、年に2回の講演会・パネルディスカッションを開催しています。医療・福祉職の方々だけでなく、地域住民の皆様にも多くご参加いただいております。
専門の講師による講演と併せて、各分野で活躍されている専門職の方々とのパネルディスカッションも開催し、各分野を超えて広く地域包括ケアシステムを考える機会にしたいと思っています。
*2016年10月には 花戸 貴司先生(滋賀県東近江市永源寺診療所所長)の講演会を予定しています。
■國森康弘さんプロフィール
フォトジャーナリスト。
日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)会員。
京都大学経済学部卒業、京都大学大学院経済研究科修了後、神戸新聞記者に。
退社後、フリーで取材活動を重ねる。
イ ラク、ソマリア、スーダン、ケニア、カンボジア、ブルキナファソなどで紛争や貧困の状況を取材、国内では医療現場や少子高齢化社会の問題、超低所得者層の 取材のほか、アジア各地の戦場の最前線に立った元日本軍兵士の聞き取りも行う。
JICA 広報誌、雑誌DAYS JAPANやAERA、週刊現代、世界、婦人画報、月刊情報誌Esquire、写真カメラ雑誌CAPAなど、新聞では毎日新聞や共同通信を通じ全国加盟紙 に寄稿する。朝日新聞2010年5月27日付け「ひと」欄にて看取りの写真家として紹介。
信濃毎日新聞では2008年中、半年にわたり沖縄戦企画を長期連載。琉球新報でも同企画を短期連載。
オランダで出版の写真集「Proud to be Nuba」に写真を発表。
そのほか、イギリス・カーディフ大学ジャーナリズム学部修士号取得。
【受賞】
2008年度上野彦馬賞入賞。2009年度上野彦馬賞日本写真芸術学会奨励賞受賞。
ナショナルジオグラフィック国際写真コンテスト2009日本版の優秀賞を受賞。
コニカミノルタ・フォトプレミオ2010受賞。
2011年度上野彦馬賞(グランプリ)受賞。
2012年度けんぶち絵本の里大賞受賞。
■國森康弘さん著書
・恋ちゃんはじめての看取り
・月になったナミばあちゃん
・白衣をぬいだドクター花戸
・いのちのバトンを受けとって
・歩未とばあやんのシャボン玉
・華蓮ちゃんさいごの家族旅行
・ぼくはクマムシになりたかった
・まちに飛び出したドクターたち
写真絵本『いのちつぐみとりびと』とは
看取りや死を冷たい終末としてではなく、日常のなかにある次代に「いのつちぐ」ものとしてとらえ、臨場感あふれる写真と文で、「いのちのバトンリレー」「いのちの有限性と継承性」をゆたかに描く。
だれもが「みとりびと」
看取りは、いのちのバトンリレー。
それは、亡くなる人が代々受けつぎ、自身の人生でもたくわえてきた、
あふれんばかりの生命力と愛情を私たちが受けとること。
そしていつか自分が「旅立ち」を迎えたときに、愛する人に手渡していくこと。
大切な人たちに囲まれたあたたかな看取りによって、
いのちのバトンはずっと受けつがれていきます。
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東京都杉並区にある高井戸中学校には、40年間咲き続けるバラがあります。
校門から昇降口まで、生徒の登下校を見守るようにして咲くそのバラは、アンネの遺志を継いで平和活動に取り組んだ父のオットー・フランクから贈られたもので、名前を「アンネの形見」(Souvenir de Annefrank)といいます。
生徒たちがアンネのバラと関わることで成長していく姿を、『恋ちゃんはじめての看取り―おおばあちゃんの死と向きあう』に始まる「みとりびと」シリーズの写真家・國森康弘さんが、一年かけて取材し、撮影しました。
■生きることが光になる 重症児者福祉と入所施設の将来を考える(クリエイツかもがわ)
びわこ学園50周年! 「この子らを世の光に」からバトンを受け「生きることが光になる」
■ご飯が食べられなくなったらどうしますか?
永源寺の地域まるごとケア
「死なないための医療」にしがみつくのではなく、「自分らしく死ぬ」ために、患者自身がどのような医療を選ぶかが、最近、注目されている。著者は、この選 択を堅苦しく、深刻に迫るのではなく、「ご飯が食べられなくなったらどうしますか?」と、日常の会話のなかで、ごく自然に患者に問いかける。その問いかけ を受けて、永源寺のお年寄りが自分らしく死ぬために、どう医療を選び、どう生活し、どう人と付き合ったかを、患者自身の生活風景として描いていく。さら に、その生活風景を、写真の力を借りて、読者の目に浮かぶように表現。
看取りの形はそれぞれ違っても、家族を大切に思う気持ちは必ず伝わる―。そんな看取りを実践している柴田久美子と「なごみの里」。彼女たち「看取り師」へ の丹念な取材から、看取りの知恵と、看取ることの意味を探る。旅立つ人のためだけでなく、私たち自身のための「看取り」。