【よみがえる守田志郎の思想】

■2016年9月号現代農業主張「小農の使命ーむらに農家を増やすこと」でも紹介した守田志郎の著作紹介です。

 

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守田志郎 著作案内
守田さんと一緒に考えて明日を築こう

この案内は1997年9月号の現代農業「主張」の参考資料として故・守田志郎氏の著作を紹介したものです。――編集部

むらがあって農協がある
(1967年、家の光協会発行の『村落社会と農協』1994年、農文協人間選書。川本彰解説)

「部落ほど自分たちで自分たちを守って、そして他人に迷惑をかけずに長くやってきた団体を、ほかにあげることができるだろうか」「協の字はいかにも理念的だ。力を三つ合わせているあたりはえらく意識したものを感じさせられる。」「部落の共同関係はそのような人為的なものではない」――こんな言葉が随所に出てくる本書は、次に紹介する『農業は農業である』のすこし前に書かれたもので、「むら」について経済学や社会学という既存のメガネからでなく、事実に基づいて読者とともに考えを進めていく本。「部落を遺制と扱う歴史的見方を払拭し、『日本の村』において守田部落論を完成させる」(川本氏解説)土台となった作品です。

農業は農業である
(1971年、農文協。室田武解説 1987年、農文協人間選書)

室田武氏はこの本を「農学の古典」と呼びました。
発行後四半世紀がたちますが、いまでも新しい読者が生まれるロングセラーです。ヨーロッパ農業視察旅行に出た著者が、近代農業の先輩のように見られた彼の地の農業に、土にどっしりと根を下した自然とともにある人間の暮らしそのものを発見する感動が、そのまま日本の農業を考える思索となり、結局農業は農業であって工業ではないし、なにかの役割を受けもつシステムの歯車の一つでもない、農業は暮らしだという結論に達します。

農法―豊かな農業への接近
(1972年、農文協。中岡哲郎解説 1986年、農文協人間選書)

『農業は農業である』で述べた基本的な考え方を農家の田畑や畜舎という具体的な場面に即して考察を進める本。
「農業は農業である」と著者がいうとき、その意味はまず農業は工業ではないという意味であり、さらに農業は産業ではないという意味があります。農業は、産業そのものですらない。暮らしです。だから工業的な手法や産業的な観点からする農業への指導や誘導には拒絶をもって臨もうと訴え、そのために、農業技術を近代技術としてでなく「農法」として考えようというわけです。農法とは、農家の暮らしの中ではぐくまれ、「ふと気がついてみれば、そこに変化があった、というようなもの」で、そういう変化は「決してあとへは戻らないし、破壊的なマイナスをもたらしたりもしない」。強いて言えばそれが「農業における農業的進歩」なのだと著者はいいます。
「食膳を豊かに、農法はそこからはじまる」など、平易な語り口調で書かれた本書は、身体にあわせた農法で産直や朝市に元気に取り組む女性や高齢者農業の方々の自信を深めてくれる一冊です。

小さい部落
(1973年、朝日新聞社、のち『日本の村』と改題。2003年、農文協人間選書)

『農業は農業である』になぞらえていえば「むらはむらである」とでもいうべき本。むつかしいといえばむつかしいが、読みごたえのある本で、ほんとうに、著者といっしょに一つ一つ階段をのぼりつめていく感じです。「部落を、生きている化石として見る迷妄にとざされている間の私は、いくたび部落を訪れてみても、部落についての何事も知ることはできなかったように思う。そして、ようやく筆をとることができるようになったとき、どうやら私は農業史の研究者としての自分を捨てることができたようにも思う」。「日本における、市民と自負する私達の背広はしだいに色褪せはじめ、その足は大地から離れて、いとも頼りなげに遊離するかに見えてくる」「私を含めて都市に住んでいるものが市民」で、「日々そこで暮し、米や野菜や牛乳や卵や蚕を生産している農家の人達は……市民になりそこねたのろまとでもいうことになるのだろうか」日本での部落にかんする常識に「大きなまちがい」を感じ始めた、著者の思索の大きさが胸を打ちます。疲れた「市民」が、農的暮らしの原理に心身の癒しのすべを見出そうとし始めたいま、本家本元の農家の方々が、むらの真骨頂を再発見するためにおすすめします。むらがむらであり続け、都市と融合するのではなく連携するために。

農家と語る農業論
(1974年、農文協 2001年 農文協人間選書)

歴史と経済学を捨て、農家農村の真実を発見しようと努めてきた著者の、これはいはば「守田農学概論」です。農業生産力論、農地所有論、商業資本と農家、むらの歴史、農法的思考などをめぐって農家との連続懇談会で講義した記録であり、農業農村の全体像を農民の眼で把握しなおすのに最適のテキスト。読みやすい本です。この本の懇談会で、たくさんの守田ファンが生まれました。

むらの生活誌
(1975年、中央公論社。のち1994年、農文協人間選書。内山節解説)

主として東北地方のさまざまな農家を訪れ、労働と健康のこと、食生活のこと、若者と年寄り、山と里、水をめぐってなどを聞き書きした生活誌。別に意識してではなく、「生きている農村のなかで本物の農民として生きつづける」農民とその生活のなかに「何よりも確実な……近代批判の時空」を発見、共有する――と内山節氏は解説します。「主張」で述べたように著者は“二日半ぶっとおし”の懇談会を農家の人々と毎年つづけました。その会に出席した農家を訪ねた記録です。豊かさの中の貧困などとよくいわれますが、物質的な豊かさとこころの豊かさが一体になっている農村の暮らしのあり方がよくわかります。

二宮尊徳
(1975年、朝日新聞社 2003年農文協人間選書)

農民の出でありながら農耕について一切語らず、百姓を貨幣の動きのなかに引き入れ豊かにしようと必死に働いた尊徳を、現代日本が追い込まれあるいは私たち自らが招いた独特の経済社会の先駆的体現者として描きあげた著者唯一の評伝書。客観主義を排し、尊徳に「私のなかにあって、他の半身といつも相克の間柄にあるもう一つの半身」を見、著者自身の葛藤を抱きながら著述した本です。

小農はなぜ強いか
(1975年、農文協 2002年農文協人間選書)

小さいことの意味、農の延長“兼業”、土は作物がつくる、自然農法という誤解、畑作にきく稲のこと、部落を通して自然に対す、など主として本誌に書き続けてきた著者の農法論とむら論のその後の展開を収録した本です。「小農世界の静かな息づかい」と時代に翻弄されない強靱さとその根拠を明確に浮き彫りにしています。
著者は技術者ではありません。しかしというか、だからというか、この本はじつにうがった現代農業技術批判の書となっています。「がんらい堆肥の作り方などというものはない。堆肥とは空気のようなもので、呼吸の仕方を知らない人はいない。だが一方で深呼吸をしたりヨガの呼吸法があったりする。それに似ている」というような意表をつく論の立て方がいっぱいあるおもしろい本です。

農業にとって技術とはなにか
(1976年、東洋経済新報社。 1994年、農文協人間選書。徳永光俊解説)

先にあげた『農法』で「技術は進んでも、農法は進むとは限らない」とした著者が、両者の相違を追究した生前最後の作品。農耕が農業に、農法が技術にゆがめられる過程を、時には奈良時代までさかのぼって深く考究した、技術そのものの概念内容に変更を迫る労作。いまの機械化農業にふと
“どこかおかしい”と感じる方には必読の本です。

農業にとって進歩とは
(1978年、農文協)

生前著者が本誌に寄稿した論文や農文協主催の農家との懇談会で講義した記録のなかから農業資材に関して述べているものを収録。品種、肥料、機械など諸々の資材が、農家の農耕の自由にいかに作用するかという観点から洞察。上記『技術とはなにか』の論点をより今日的現実に即して解析した本。

文化の転回
(1978年、朝日新聞社 2003年 農文協人間選書)

晩年の代表的エッセイのほか遺稿「登呂」「ある農村の歴史」を収録。登呂遺跡を訪ね海に近すぎる不思議を感知し、多くの発掘記録や論説を一つ一つ解読しながら、最後の結論「田んぼは権力によって作らされた」に達する筆の運びは、あたかも推理小説を読むような興奮を読者に与えます。

対話学習 日本の農耕
(1979年、農文協 2002年、農文協人間選書)

農家との懇談会で著者が講義し、それをめぐって農家が討論する、その両方を収録しました。社会制度史に付随した農業史ではなく、庶民の暮らしと自然との関わりあいを土台にした新しい日本農業史の骨格がみえる本です。農家の対話も貴重な記録になっています。

学問の方法
(1980年、農文協)

自らの学問を、金、銀、銅のいずれでもない「鉛の社会学」と規定することで状況と学問を関わらせる新たな方法を見出そうとした晩年の論考集。本書によって読者は、著者がなぜ既存の学問を捨てなければならなかったのか、「鉛の」学問を、文字を書かなかった庶民と同じ感性で物事を見る見方をいかにして追究してきたかを知り、学問の本当のきびしさを感じとるでしょう。

 

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